忘れえぬ日々



先日車に乗ってるとき ラジオから気になるニュースを聞いた。
老人虐待が急激に増えているというニュースが流れていた。
そのうち 痴呆老人の割合がかなり高いとか・・・。

悲しいニュースでした。

かく言う 私も 母(脳の病気から 若くして痴呆症に・・ 今は天国にいる)から言わせると 虐待と思ったことがあったかも知れないと思う。
私も そう思う・・。

痴呆の初期は 毎日寝食を共にしてる家族というのは 気づきにくいものだそうで 我が家も ご多分に漏れず そうであった。
初めに目立ったのは 料理の味と 火の付けっ放しで 鍋を焦がす回数が極端に増えたことだった。
母は料理が 手早く上手だったが いつからか 味が おかしくなっていった。
お鍋も いくつ捨てたか分からない・・・。
私は もしかしたら うすうす感じてたのかも知れない・・母のただならぬ変化に。
でも 認めたくなかったのか 怖かったのか 見て見ぬふりをしてたような気がする。

それから坂道を 転がるように アッという間に 痴呆は進んでいった。
もう目を塞いでも 何をしても 認めざるを得ない位 色んなことが起こり始めた。
(ここで お断りしておくが 母は脳の病気で 頭部に放射線を当てたので 進行の早いアルツハイマーになりましたが 加齢で 痴呆になって行く人とは スピードが違うと思いますので いたずらに不安な気持ちにならないでくださいね。それと 当時は認知症とは言わず 痴呆症と言ってたので 認知症という響きが私にはピンときません。痴呆症と記することを お許し下さい。)

まず 物を取られた お金を盗まれたと言い出し 父の浮気を疑い出した。
これ以外にも 母の名誉のために書けないようなことも言い出した。
これらの事実は 全くない。
そんなことを言う頻度が増えてくると 目つきも別人のように鋭くなり いつも 疑いに満ちた責めるような目つきになっていった。
このころから 料理は 火事になるといけないので 私にバトンされた。
こんなことでもないと 料理など 始めなかったので 私にとっては良いきっかけだったと思う。
母は 普通のアルツハイマーではなかったので 体の機能を司る大事な脳までもダメージを受けており バランスを取ることが難しくなったり 反射神経も 鈍っていった。
想像が付かないと思いますが まっすぐ立ってるつもりが 歪んでて ふーっと倒れそうになったり こけた時に普通は手を突こうとするのに 間に合わず そのまま ドタっとこけたり とにかく あざだらけになっていった。
骨折も ろっ骨に 腰など 信じられない位簡単に折れた。
骨粗鬆症でもあったからだ。

その頃 私は ある趣味にハマり 家事は 何とかしながらも よく 家を空けていた。
母が こんな状態であるのに 自分の趣味を優先させ 家事や 母の通院以外は自分の自由にしていた。
仕事もアルバイトだが 行ってた。
母は そんな風に お金や 父に執着もあり 痴呆ではあるが しっかりしてる部分は
しっかりしていたので 喧嘩も絶えなかった。
痴呆も明らかであるのに いつも笑ってた母が いつも怖い顔になる・・・どうしても 自分の中の以前の母親像が消えないのである。
つい 痴呆ということを忘れ きつく当たってしまうし そんな顔した 母の顔を見るのが嫌で
家でも あまり顔を合わさないようにしてた。
本当に冷たい娘だったと思う。
いちばん身近で 労わって欲しい娘が 子供でもあるまいし 反抗的な態度でいつも接してくる・・母にとっては やるせなかっただろう・・。
母も 私に対して 言ってはいけないようなことまで言うようになった。
痴呆なのは わかるのだが 感情が 母を許せない・・。
母娘の関係は この頃 最悪だった。
私も いつも 不服顔だったと思う。
ただ一歩 外にでると 仕事仲間と話たり 友人と会ったり 趣味に没頭し ストレスは発散できていた。
でも 母は ほとんど一人で家にいた・・・ずっと。
日に日に エスカレートしていく 痴呆。
やがて 時々 母は失禁するようになる・・。これは ショックだった。
失禁!?ありえないと思った。
それから しばらくして 母は ある日 起きれなくなった・・・。
そのまま 救急車で かかりつけの病院まで行った。

水頭症だった。
この入院で ドレンという 脳に溜まりすぎる髄液を お腹に流す手術を受けた。
三度めの手術だった。

この入院の後から 母の生活は 全介助を必要とすることになる。

それまでの私の態度 言葉は本当に ひどかった。
母に虐待と思われても仕方のないものだったと思う。
何かと生活に制限があったこと 母のことに掛る時間 母の心ない言動(もちろん痴呆からだ。)そんなことに いつもイライラして 優しくできなかった。
本当は 私が優しく母に向き合えれば 母はもう少し穏やかな気持ちで 笑顔ももう少し増えたのではないかと思う。
もう少し変化にも 早く気付いていれば 救急車のお世話になることもなかった気がする。
その頃の自分が 悔しくて情けなくて 母に申し訳なくて仕方ない。
人様のブログで 私のような経験をしている人が 親に優しくされてるのを見て 本当に自分の愚かさが 恥ずかしくなる。
そうゆうブログに感動する。
今まで 自分の愚かしさを書けなかったのは あの頃の自分が大嫌いだからだ。
思い出したくもなかった。
でも あの頃の後悔が その後の8年間への布石であった気がする。

今はもう 遠いところへ旅立ってしまった母。
次会える時には あの頃のことを忘れてくれていたらいいのに・・と思う。
でも それは無理だろう・・・。
私の中にも こんなに深く 重い記憶になって残っているのだから・・。



【2007/10/25 20:36】 | 母に捧ぐ | トラックバック(0) | コメント(12)
天高く 馬肥ゆる秋



天高く 馬肥ゆる秋・・。

秋の空は 確かに高く綺麗です・・。
今日も 綺麗な空でした。

母が 亡くなったのも 秋空が それはそれは綺麗な日で 私は 悲しみと 母が苦しみから解放されたというホッとした気持ちと これから 母がいないという現実と・・・さまざまに気持ちに押され 息苦しく感じたものです。

最後の入院は1月ほどの期間でしたが それまでで 最悪の状態でした・・・。
だからこそ 天に召されたのでしょうが・・。

私は きっと空気が読めてなかったのかも知れませんが 母と寄り添う日々が7年ちかく続いてたことで 母が永遠にここに居てくれると思っていたようです。

その入院が 母にとって 家とも 家族とも今生の別れになるなんて 入院前は 思いもしませんでした。
何故なら その入院は 今後の母の在宅生活が少しでも快適に過ごせるための 前向きな処置を行うための入院でしたから・・。

ところが 母の脳も体も 偶然 この時期に限界を迎えていたようです。
いえ 入院をしたことで 母の体に負担を与え 死期を早めてしまったと思います。
その入院を悩みに悩んで決断した私は 今も 後悔しています。

最後は家で・・・と心に決めていたので 最後が病院のベットになってしまったことは悔いが残りますが その病院の先生もスタッフさんも 精神誠意 母のために最善を尽くして下さいました・・そのことで あまり不満を漏らせなくなってしまいました。(笑)
 
在宅で母を看ていた部屋にはピアノがありました。
それは 母のために用意されたものではなく 他の部屋には置くことができず 仕方なく置いてあっただけです。

そのピアノはアップライトの 少し赤味がかった色をした新品の時は とても眩しいピアノでした。
私が幼少のころに両親が買ってくれた物です。

特にピアノが好きではなかった私は このブログのように すぐ サボッて母を困らせていました。(笑)
それでも しつこく 中学卒業時まで無理無理 習わせてもらったお影で その後の自分の人生で いい出会いも生んでくれました。
ピアノ代にレッスン料・・・我が家の家計はどうだったのかわかりませんが バチ当りな娘です。(笑)
今は 感謝という 在り来たりの言葉しか浮かびません。

最後の入院の前日 そのピアノで 私は ずっと昔に習って 音楽会にも弾いた曲を演奏しました。

それまでも 音楽の刺激 特に 元気な時や若い時に聞いてた曲などは 脳に有効だと聞いていたので 時間のある時に時々弾いていました。
ただ ブランクもあるし 元々 素質がないのか 下手くそなピアノは あまり有効だとは思えませんでしたが・・(笑)。

その日は とても上手く弾けたので 終わった瞬間 母のベットの傍らに飛んで行き 言いました。

「今日の上手あったやろ?!」

母は勿論 口を聞けないので 何も言ってくれません。
目も神経がダメージを受けていて 見れません。
意思も持ってないはずですが 私にはわかりました。
本当に反応があったのです。
少し表情が穏やかになったのです。
微笑むような感じに・・・。


私はよく ベットの傍らで 母の全く 微動だにしないその手を 自分の頭に持っていき 撫で撫でしてもらうように 自分で動かしました。
いい歳をしていますが いつまでたってもも母の娘です。
子供の頃の様に 無理やり撫でてもらいます。

よく どんなことでも 自信を付けさせようと 母は誉めてくれました。
子供の頃は とても嬉しく 素直に受け取っていましたが いつ頃からかは 見え透いた 誉め言葉に 少し白けたものでした。
今となっては 母の愛情が懐かしく そしてありがたかったと改めて思います。

そのピアノを弾き終わったときも 母の手を 私の頭に持って行き(正確には 母の手元に 自分の頭を持って行ってる感じです。)撫で撫でしてもらいました・・・。
母の手は もうすっかり老人の域に達する年齢にも拘わらず とても白く 柔らかいのです。
私が 子供の頃の方がよほど ガサガサの荒れた手をしていました。
子供に帰っていったのでしょうか。
そうやって 無理無理 撫で撫でしてもらうとき  私は必ず 胸が熱くなり 涙が出てしまうのです。
明確な理由は分かりませんが 涙がでます。
少しのぬくもりが心に浸み入るのでしょうか。
おかしいのは 本当に 母の意思で撫ぜてもらってる気がすることです。
そんなはずな絶対ないのです・・・私が動かしているのですから・・。




秋の空を眺めながら その日のことを思い出しました・・・。



天高く馬肥ゆる秋・・・本当に高かった・・。
母が飛び立った空は 手の届かない高い空でした。









【2007/10/18 21:55】 | 母に捧ぐ | トラックバック(0) | コメント(3)
せこい松茸ご飯の作り方(;一_一)


初めに・・・

先日の「戸惑いの秋」に コメント ジャンキーで 本当に暖かい励ましをいただきまして ありがとうございました。
あの日記は かなり悩みながら書きましたが「やっぱり本音で書くわよ〜」に変わってました。
私自身 人様のブログにコメントなどを残すことが勇気がいって とても苦手で 書きかけては消し そのままでしたが こんなに嬉しく 励まされるということを知り これからは 頑張って残させていただこうと思いました。
これからも どなた様の コメントなど大歓迎です。辛口でも 過去のブログにでも結構ですので どうぞ 御遠慮なくお願いします。<(_ _)>
にーなさん 応援隊さん 涼さん 本当にありがとうございました。頑張って良い報告ができるよう頑張りますね。相手はきっと彼ではない気がしますが・・・


ここから 今回のブログです。


これは やばい・・・まずい・・・ひじょ〜に まずい!!!
こんな機能があることも知らなかったのです・・。
このブログに訪問下さった方の サーチワード(検索単語とでもいおうか・・)が なななんと!!!








焼き栗の作り方!!!






がほとんどの様です。
前の前の前のブログを読んで下さった方はご存じでしょうが 確かに 焼き栗の作り方・・・・書きました。
ただ アホらしい ふざけた日記でございます・・・はい。

こ〜んな 感じ・・・。

栗2007秋


もし 焼き栗の作り方で こちらにご訪問いただきました皆様 深く 深く お詫び申し上げます。<(_ _)>
そう言えば 私も お料理レシピはよく検索しまする。
で こんなブログに当たったら・・・と思うと・・・許せん!って感じですよね。
これからはタイトル 注意しないとね。






反省も終わったところで 今日は




せこい松茸ご飯の作り方!!!





いっちゃいましょう!(大丈夫か?三毛いぬ〜
今日のは テレビでやってたパクリやから 大丈夫だぁ〜



では 材料は エリンギ 適宜

         松茸のお吸い物の素 適宜(便利な単語やわ)

         白米 適宜(ここもかい!)

         水  適宜(もうええ!)

         お好みで おあげさん ごぼう にんじんの笹がき 

         他のきのこ(松茸を入れると 本間の松茸ごはんになるよ〜!)

         栗なんかも 季節感満タンでいいでしょう(それって栗ごはんちゃうか?)


         
       これらを 適当に お釜に入れて スイッチON

       エリンギの食感は 松茸のそれに似ているそうですよ!
       (・・・よ!って 試したことないんかい!?・・・ないよ


 
         
その番組の ゲストさん達は一様に「おいすぃ〜!」「食感が まったけと一緒やわ〜!」と ご満悦でしたから きっとおいすぃ〜ん!だと思います。
エリンギが手に入ったら も是非やってみま〜す。(普通してから書くやろ・・


よ〜し やってみ〜よおっと!と思った方、  
炊飯器のスイッチをONする前に こっちもポチっとお願いしまする<(_ _)>


あ、あの〜・・・コメント良かったら 残して下さいね!決して怪しいもんじゃございませんから。
(十分 怪しいあるか・・・

マツタケ
例のブツです



【2007/10/09 20:30】 | 主婦もどき目線で・・。 | トラックバック(0) | コメント(6)
戸惑いの秋


すっかり 過ごしやすくなり 秋の味覚も味わえる季節になりましたが 先日の栗に続き 梨に松茸も頂いたりして 秋を満喫しています。

ブログに書くことを悩んでいましたが 思いきって書いてみようと思います。
多分 気持ちを整理したいのだと思います。
先日 昔 付き合っていた人と会いました。
もちろん 彼も独身なので 特に問題はありませんが 私と別れた後 結婚 離婚を経験していました。
時々 友人として話をする機会があり お互いの近況は知っていました。
ですから 母が亡くなったこと 私が少し体調を壊していることなども 時々 電話で 励ましてくれました。
彼は 手前味噌(ではないか・・)ではないですが 本当に 誠実で 真面目で 温厚で
人としても尊敬できる人でした。
ただそれだけに 少し遠い存在に感じることもありました。
自分とは違う 選ばれた人という感じでしょうか・・。
付き合っている時も 会えない日が続いたり 女性を交えた飲み会なども行かれることもありましたが 心配などしたことは一度もなかったと思います。
それだけ信頼していました。
生真面目な人なので 付き合い始めのころから 結婚のことも 当たり前のように考えてくれていました。
3年ほどお付き合いが続いたでしょうか・・。
私も母の状態が悪化して なかなか外出ができなかったり 彼も会社を興していたので 多忙を極め時間が作れなかったりで だんだん 合う間隔が空くようになっていきました。
彼は そのうち 会社のトップとして信頼されるためにも 世帯を持て と周りから突き上げがきつくなってきたと言って 入籍だけでもしないか・・とも言ってくれましたが 私は 母のことで精一杯で とてもじゃないけど そんな状況ではない・・と待って欲しい旨を伝えていました。
しかし 私もいつまでも待たせる訳にはいかない・・と感じ始めていた ある日 彼から 別れを告げられました。
いえ 言わせたのかも知れません。
理由は もう待てない・・・ということでした。
私も 悪いと思いつつの お付き合いになっていたので 快諾しました。
もちろん 気持ちは複雑で 苦しいものでした。
その当時 彼が もう新しい誰かと出会っていたのかどうかはわかりません。
でも 二叉を架けれる人ではないと思うので お付き合いは次の方とはなかったと思います。
別れてから 半年か1年位で 彼は結婚しました。
その知らせを聞いた時は嬉しかったです。
もちろん 心から祝福しました。
なぜなら そのお付き合いのあった3年間は 本当に精神的に支えてもらったし 良い思い出もできましたから・・。
それに 幸せでした・・。
彼には 心から幸せになって欲しいと思っていました。

それから 先日会うまでは 会ったことがなかったですから もう数年ぶりの再会ということになりました。
彼は バツ1になったこと以外 ほとんど変わっておらず 当時のままの優しい 暖かい人でした。
会社は相変わらず 大変だと言ってました。
私は 彼にどう映ったのでしょう・・・。
あのころと違うところは 母が亡くなったこと 体重が5キロも落ちたこと・・さぞかし貧相に映ったのではないかと思います。
私は 今 少し体調を崩しています。
それも知っている彼は 気を使って ドライブで 海を見に連れてってくれました。
どんな風景を見ても 母に見せてあげたかったと思ってしまいます。
そうゆう私も10年近く 海を見ていなかったので 嬉しくて ありがたくて 涙が出そうになるのをこらえるのに必死でした。
そのあと 家の近くまで送ってもらい帰路に着きました。
別れ際 名残惜しむこともなく 彼は帰っていきました。
ここは昔と違っていました。(笑)
4時間のデート(ではないですが)でした。
帰ってから 何故か 涙が溢れてしまいました・・不覚にも。
多分 失った時間の重さを実感させられたからです。
もう 戻れないことを 実感したからです。
彼の気持ちが 全くここになにことを感じたからです。
一番つらかったのは 自分の気持ちを知ったからです。
まだ 忘れてなかったのです・・抑え込んだ気持ちは 会った途端 自分の中で膨らんでしまったのです。
あの時 素直に 入籍だけでもしていれば 今も彼は 私のそばにいてくれたのではないか・・・そう思うと 後悔の念がふつふつと沸いてくるのです。
帰ってからも 以前のように時々メール交換はしていますが 友人然とした それは とても淡々としたものです。
会うまでは 全く 何とも思わなかった その淡泊なメールが今は苦しいです。
もう 友人としては苦しいので 連絡を断とうかとも思うのですが 裏腹に それだけでも つながりを持っていたいと思ってしまいます。
いっそ 告白して 振られて 他人になろうかとも思うのですが きっと 彼は苦しみます。
昔 別れた時も 介護で大変な時に 捨ててしまうことになってしまったことを ずっと苦しく思っていたからです。
今 告白すると きっと 彼は逃げ場がない気がするのです。
私は 振られることは 全然平気です。
むしろ さっぱりするでしょう。
結果は火を見るより明らかです。
結局 彼に また辛い決断を下させるだけです。
だから このままでいようと思います。

ずいぶん綺麗事だと思われるかも知れませんが こんな恋愛は私も初めてです。
このまま 大切な思い出として 墓場まで持っていくつもりです。
どうして 書こうと思ったんだろう・・・。
気持ちの整理・・・もしかしたら 全く偶然に彼の目にとまって欲しいという気持ちがあるのかも知れません。
告白はしなくても 気持ちは伝えられるからです。

タイミングって大事ですね。
いつか お互いが 幸せになったとき 「あのとき まだ 好きあったんよ・・」と言える日が来るよう 私も頑張ろう・・・と心に誓いました。
最後まで読んで下さった方 ありがとうございました。
 良かったら ご意見 感想 お聞かせ下さい。






【2007/10/06 17:55】 | 婚期 延長します(^。^)y-.。o○ | トラックバック(0) | コメント(4)
やっぱり 本音は書けませぬ・・


本音を書くって 以外と難しい・・いいとこ70%(;一_一)日頃感じること、母との日々、 結婚は?、ときどきワンコ・・つい読んでしまったあなたには感謝!

プロフィール

三毛いぬ

Author:三毛いぬ
こここんちは!緊張・・。
私は 西日本在住(ひろぉ) 適齢期もはるか昔に通り過ぎましたが なぜかこんな風にお気楽な子に育ってしまいました・・。
育て方を間違えた・・・って遅すぎます(−−〆)
こんな 私ですが よろしくお付き合い下さいませ。<(_ _)>



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