母からのプレゼント


母の法事もありバタバタしていたのもありましたが 明らかに モチベーションが保てずにいました。
すっかり おさぼりも板に付くと 不思議なもので 以前 どんな風に書いていたか ネタはどんな風に思い付いていたか・・・すっかり忘れてしまって 勘が戻ってきません・・。
今日はリハビリブログ 第一日です。ヽ(^。^)ノ

先日 友人と ランチ と ウインドショッピングをしてきました。
お店のディスプレイはすっかりクリスマス一色・・・いえ お正月もちらほら・・ひぇ〜。
なんだか 浦島太郎子です。
そうです・・もうすぐ12月 そして お正月でした・・。
子供の頃は おせち料理や 大掃除を手伝わされて 嫌だったな〜。
今となっては もっとしっかり教えてもらっとけば良かった・・・。


その時 友人に あることを言われて 初めて気付きました。


母が まだ しっかり支えさえすれば 歩ける頃がありました。
先日の{忘れえぬ日々}での入院で ドレンの手術をした後のことです。
お相撲さんの取り組みのようなかっこで 私が母の腰に巻かれたベルトを持つ感じでしっかり体を支えるように持ち 母が 私の肩に手を置く形で 「いっち にっ!いっち にっ!」と声かけしながら 少しずつ進みます。私は 後ろ向きに歩くことになります。
この方法で 痴呆に良いと思われる刺激を与えるためにも できるだけ 出掛けるようにしました。
ところが 私一人では 痴呆で 予想の付かない動きをする母を連れて出掛けることは無理だったので 父か 他の人にお手伝いを お願いしていました。

その時 この友人にも何度かお願いしました。
彼女の家から 我が家までは車で30分かかりますが 仕事の休みの日に わざわざ来てくれ スーパーなどに付き合ってくれました。
彼女も 母にとても愛情というか 優しい気持を持ってくれていました。
いつも 流行りの菓子や 雑貨など プレゼントしてくれました。
そんな時期は1年位しか続かず その後は完全に寝たきりになり 彼女とは メールだけの付き合いが7年続いてたことになります。

それなのに母が亡くなったことを 私は 数週間経ってからしか伝えなかったのです・・。
彼女は先日ランチしてるときに「なんで言ってくれへんだん・・って思ってショックあってん・・。」と言い出しました。
遅ればせながら母が亡くなったことを伝えた時 すぐに飛んできてくれました。
その時 すぐに教えなかったことを残念に思ってたそうですが 私が気にすると思って言わなかったそうです。

なるほど・・逆なら ガッカリするな・・・と思いました。
どうして 言わなかったのだろう・・。
今となっては その時の気持ちが思い出せないのですが ただただ 母の傍にいたかったことだけは覚えています。
言い訳をすると 母の入院中の疲れはピークだったと思います。
それと 母の死が現実のものとして受け入れてなかった気もします。

先日のランチの席で 二人で泣いてしまいました。
彼女が 母に最後の別れがしたかったこと・・その気持ちを知って 嬉しくて でも切なくて 泣けてきました。
私も その時 母に会って欲しかったな・・と心から思いました。

母のその顔は もう70歳を目前にしていたのに 怖いくらい綺麗で 娘のような若々しさでした。
親戚の人や母の友人も 母の顔を見るなり 皆一様に「ひゃー・・」と声をあげ驚くほどでした。
中には 「今からお嫁さんに行く見たいやねー・・」と言ってくれる人もいました。
ほとんどの人が 今まで見た仏さんの中で 一番綺麗だと言ってくれました。
変な手前味噌ですが 私もそう思いました。
でも ドライアイスのせいもあり 悲しい位 冷たい頬でした。


先日のランチは 友人の優しい思いに気付かされた 一日でした。
大切な友人の存在を改めて気づかされ嬉しかったです。
母の粋な誕生日プレゼントだったのかも知れません。(*^_^*)

そうそう 以前のブログ「戸惑いの秋」の元彼から お誕生日おめでとうメール頂けました・・。
もちろん その少し前に宣伝してたからですが。
ただ あっさりとした文章でした・・・贅沢言ってますね。
それでも 十分嬉しかったです。(*^_^*)



【2007/11/10 17:06】 | 母に捧ぐ | トラックバック(0) | コメント(22)
忘れえぬ日々



先日車に乗ってるとき ラジオから気になるニュースを聞いた。
老人虐待が急激に増えているというニュースが流れていた。
そのうち 痴呆老人の割合がかなり高いとか・・・。

悲しいニュースでした。

かく言う 私も 母(脳の病気から 若くして痴呆症に・・ 今は天国にいる)から言わせると 虐待と思ったことがあったかも知れないと思う。
私も そう思う・・。

痴呆の初期は 毎日寝食を共にしてる家族というのは 気づきにくいものだそうで 我が家も ご多分に漏れず そうであった。
初めに目立ったのは 料理の味と 火の付けっ放しで 鍋を焦がす回数が極端に増えたことだった。
母は料理が 手早く上手だったが いつからか 味が おかしくなっていった。
お鍋も いくつ捨てたか分からない・・・。
私は もしかしたら うすうす感じてたのかも知れない・・母のただならぬ変化に。
でも 認めたくなかったのか 怖かったのか 見て見ぬふりをしてたような気がする。

それから坂道を 転がるように アッという間に 痴呆は進んでいった。
もう目を塞いでも 何をしても 認めざるを得ない位 色んなことが起こり始めた。
(ここで お断りしておくが 母は脳の病気で 頭部に放射線を当てたので 進行の早いアルツハイマーになりましたが 加齢で 痴呆になって行く人とは スピードが違うと思いますので いたずらに不安な気持ちにならないでくださいね。それと 当時は認知症とは言わず 痴呆症と言ってたので 認知症という響きが私にはピンときません。痴呆症と記することを お許し下さい。)

まず 物を取られた お金を盗まれたと言い出し 父の浮気を疑い出した。
これ以外にも 母の名誉のために書けないようなことも言い出した。
これらの事実は 全くない。
そんなことを言う頻度が増えてくると 目つきも別人のように鋭くなり いつも 疑いに満ちた責めるような目つきになっていった。
このころから 料理は 火事になるといけないので 私にバトンされた。
こんなことでもないと 料理など 始めなかったので 私にとっては良いきっかけだったと思う。
母は 普通のアルツハイマーではなかったので 体の機能を司る大事な脳までもダメージを受けており バランスを取ることが難しくなったり 反射神経も 鈍っていった。
想像が付かないと思いますが まっすぐ立ってるつもりが 歪んでて ふーっと倒れそうになったり こけた時に普通は手を突こうとするのに 間に合わず そのまま ドタっとこけたり とにかく あざだらけになっていった。
骨折も ろっ骨に 腰など 信じられない位簡単に折れた。
骨粗鬆症でもあったからだ。

その頃 私は ある趣味にハマり 家事は 何とかしながらも よく 家を空けていた。
母が こんな状態であるのに 自分の趣味を優先させ 家事や 母の通院以外は自分の自由にしていた。
仕事もアルバイトだが 行ってた。
母は そんな風に お金や 父に執着もあり 痴呆ではあるが しっかりしてる部分は
しっかりしていたので 喧嘩も絶えなかった。
痴呆も明らかであるのに いつも笑ってた母が いつも怖い顔になる・・・どうしても 自分の中の以前の母親像が消えないのである。
つい 痴呆ということを忘れ きつく当たってしまうし そんな顔した 母の顔を見るのが嫌で
家でも あまり顔を合わさないようにしてた。
本当に冷たい娘だったと思う。
いちばん身近で 労わって欲しい娘が 子供でもあるまいし 反抗的な態度でいつも接してくる・・母にとっては やるせなかっただろう・・。
母も 私に対して 言ってはいけないようなことまで言うようになった。
痴呆なのは わかるのだが 感情が 母を許せない・・。
母娘の関係は この頃 最悪だった。
私も いつも 不服顔だったと思う。
ただ一歩 外にでると 仕事仲間と話たり 友人と会ったり 趣味に没頭し ストレスは発散できていた。
でも 母は ほとんど一人で家にいた・・・ずっと。
日に日に エスカレートしていく 痴呆。
やがて 時々 母は失禁するようになる・・。これは ショックだった。
失禁!?ありえないと思った。
それから しばらくして 母は ある日 起きれなくなった・・・。
そのまま 救急車で かかりつけの病院まで行った。

水頭症だった。
この入院で ドレンという 脳に溜まりすぎる髄液を お腹に流す手術を受けた。
三度めの手術だった。

この入院の後から 母の生活は 全介助を必要とすることになる。

それまでの私の態度 言葉は本当に ひどかった。
母に虐待と思われても仕方のないものだったと思う。
何かと生活に制限があったこと 母のことに掛る時間 母の心ない言動(もちろん痴呆からだ。)そんなことに いつもイライラして 優しくできなかった。
本当は 私が優しく母に向き合えれば 母はもう少し穏やかな気持ちで 笑顔ももう少し増えたのではないかと思う。
もう少し変化にも 早く気付いていれば 救急車のお世話になることもなかった気がする。
その頃の自分が 悔しくて情けなくて 母に申し訳なくて仕方ない。
人様のブログで 私のような経験をしている人が 親に優しくされてるのを見て 本当に自分の愚かさが 恥ずかしくなる。
そうゆうブログに感動する。
今まで 自分の愚かしさを書けなかったのは あの頃の自分が大嫌いだからだ。
思い出したくもなかった。
でも あの頃の後悔が その後の8年間への布石であった気がする。

今はもう 遠いところへ旅立ってしまった母。
次会える時には あの頃のことを忘れてくれていたらいいのに・・と思う。
でも それは無理だろう・・・。
私の中にも こんなに深く 重い記憶になって残っているのだから・・。



【2007/10/25 20:36】 | 母に捧ぐ | トラックバック(0) | コメント(12)
天高く 馬肥ゆる秋



天高く 馬肥ゆる秋・・。

秋の空は 確かに高く綺麗です・・。
今日も 綺麗な空でした。

母が 亡くなったのも 秋空が それはそれは綺麗な日で 私は 悲しみと 母が苦しみから解放されたというホッとした気持ちと これから 母がいないという現実と・・・さまざまに気持ちに押され 息苦しく感じたものです。

最後の入院は1月ほどの期間でしたが それまでで 最悪の状態でした・・・。
だからこそ 天に召されたのでしょうが・・。

私は きっと空気が読めてなかったのかも知れませんが 母と寄り添う日々が7年ちかく続いてたことで 母が永遠にここに居てくれると思っていたようです。

その入院が 母にとって 家とも 家族とも今生の別れになるなんて 入院前は 思いもしませんでした。
何故なら その入院は 今後の母の在宅生活が少しでも快適に過ごせるための 前向きな処置を行うための入院でしたから・・。

ところが 母の脳も体も 偶然 この時期に限界を迎えていたようです。
いえ 入院をしたことで 母の体に負担を与え 死期を早めてしまったと思います。
その入院を悩みに悩んで決断した私は 今も 後悔しています。

最後は家で・・・と心に決めていたので 最後が病院のベットになってしまったことは悔いが残りますが その病院の先生もスタッフさんも 精神誠意 母のために最善を尽くして下さいました・・そのことで あまり不満を漏らせなくなってしまいました。(笑)
 
在宅で母を看ていた部屋にはピアノがありました。
それは 母のために用意されたものではなく 他の部屋には置くことができず 仕方なく置いてあっただけです。

そのピアノはアップライトの 少し赤味がかった色をした新品の時は とても眩しいピアノでした。
私が幼少のころに両親が買ってくれた物です。

特にピアノが好きではなかった私は このブログのように すぐ サボッて母を困らせていました。(笑)
それでも しつこく 中学卒業時まで無理無理 習わせてもらったお影で その後の自分の人生で いい出会いも生んでくれました。
ピアノ代にレッスン料・・・我が家の家計はどうだったのかわかりませんが バチ当りな娘です。(笑)
今は 感謝という 在り来たりの言葉しか浮かびません。

最後の入院の前日 そのピアノで 私は ずっと昔に習って 音楽会にも弾いた曲を演奏しました。

それまでも 音楽の刺激 特に 元気な時や若い時に聞いてた曲などは 脳に有効だと聞いていたので 時間のある時に時々弾いていました。
ただ ブランクもあるし 元々 素質がないのか 下手くそなピアノは あまり有効だとは思えませんでしたが・・(笑)。

その日は とても上手く弾けたので 終わった瞬間 母のベットの傍らに飛んで行き 言いました。

「今日の上手あったやろ?!」

母は勿論 口を聞けないので 何も言ってくれません。
目も神経がダメージを受けていて 見れません。
意思も持ってないはずですが 私にはわかりました。
本当に反応があったのです。
少し表情が穏やかになったのです。
微笑むような感じに・・・。


私はよく ベットの傍らで 母の全く 微動だにしないその手を 自分の頭に持っていき 撫で撫でしてもらうように 自分で動かしました。
いい歳をしていますが いつまでたってもも母の娘です。
子供の頃の様に 無理やり撫でてもらいます。

よく どんなことでも 自信を付けさせようと 母は誉めてくれました。
子供の頃は とても嬉しく 素直に受け取っていましたが いつ頃からかは 見え透いた 誉め言葉に 少し白けたものでした。
今となっては 母の愛情が懐かしく そしてありがたかったと改めて思います。

そのピアノを弾き終わったときも 母の手を 私の頭に持って行き(正確には 母の手元に 自分の頭を持って行ってる感じです。)撫で撫でしてもらいました・・・。
母の手は もうすっかり老人の域に達する年齢にも拘わらず とても白く 柔らかいのです。
私が 子供の頃の方がよほど ガサガサの荒れた手をしていました。
子供に帰っていったのでしょうか。
そうやって 無理無理 撫で撫でしてもらうとき  私は必ず 胸が熱くなり 涙が出てしまうのです。
明確な理由は分かりませんが 涙がでます。
少しのぬくもりが心に浸み入るのでしょうか。
おかしいのは 本当に 母の意思で撫ぜてもらってる気がすることです。
そんなはずな絶対ないのです・・・私が動かしているのですから・・。




秋の空を眺めながら その日のことを思い出しました・・・。



天高く馬肥ゆる秋・・・本当に高かった・・。
母が飛び立った空は 手の届かない高い空でした。









【2007/10/18 21:55】 | 母に捧ぐ | トラックバック(0) | コメント(3)
介護の果てに見えたもの



今日は福田さんが 親子二代で首相になった日だ。
福田さんは それまでにも幾度も首相選挙のたびに名前は挙がるが じ〜と待って 自分の出る時期を周到に見極め 結果 その座をスッとかっさらった・・お見事!アッパレである。
私も じ〜と婚期を周到に見極めてたら・・ あれぇ〜ひとりですや〜ん
何を考えているのか分からない不気味さ 不敵な笑み・・ちょっと つわものですぞ・・・。
案外 長く政権を担ってくれるのではないかと密に期待してる。
頑張ってね 福田さん!
私も 案外 まだ見極めの時期かも知れません・・・もうしばらくじ〜っと待ってみよう。大丈夫かぁ〜私?
安部さんも 早くお体なおして ぜひもう一度 表舞台での活躍を期待します。

あちこちの介護ブログ探検をさせてもらって思ったことは やっぱり女の人が年齢関係なく介護されてる方が多いということ・・。
そうでない場合は特異な感じで また興味深く読ませていただいたが。
男の人は 仕事を辞めれない これが現実だと思う。
それに 介護に向いてるのはやはり女性だと思う。
でも そうでない場合でも女性にかかってくることが多いと思う。
これは 根本的な 日本の男女の役割という観念から仕方ないのだと思う。

しかしながら家事と介護の大変さを本当に理解できている男の人が少な過ぎると思う。
介護は子育てより楽だと平気でのたまう我が家の男達もそうであった。
子育ての方が大変かも知れないが そう言われるとガクッとくる。(今は平気で聞けるが)
でも徹底的に違うところは 子育ては 育てる楽しみも希望(絶望もあるかな?)もあるし ある時期までという期限もある。
ところが介護の果てに待っているものは 悲しい結末・・これは動かせない事実だ。あと期限は 無期限であることが多い。
母も 退院時には 三か月と言われていたが 7年近くいてくれた。嬉しい誤算だった。
ということで 男性には せめて 大変だということを理解し 嘘でもいいから ねぎらいの言葉をかけてあげて欲しい。
「いつも 御苦労さん」「大変やろー、何か手伝おか?」と。
そう言われると きっと疲れは半減するだろう。
介護は孤独である。
見てくれてるのは家族だけにも拘わらず その家族にそっぽ向かれると 益々孤独である。
でも 今思うに 我が家族はいつも 「こいつ一人に全部任せて申し訳ない」という気持ちを持ち続けるのも すごく辛いことだったのではと思う。そんな自分に耐えきれず わざとあまり向き合おうとしなかったり 介護を軽いものと考えたい 大変だと認めると後ろめたく思う気持ちに押し潰されそうだったからではないかと思う。

介護を終え 見えることがあります。
 自分の間違っていたこと・・・人にもっと委譲する心の広さがなかったことです。
母は 自分の時間も全てなくして 自分の世話をされることを喜んだだろうか・・・と思う。
きっとノーだ。
私は不器用で 一度に色んなことをするのが苦手である。
だから 介護の他のことが見えなくなっていた。
母の望みは 私もイキイキしてることだったと思う。
何度も書いてるが 母は 意思も持てず、言葉発せなかったので 全くどう思っているかを知ることができなかった。
でも もし しっかりとした意思表示ができたら きっと「あんたの幸せが 私の望みやで。」と言ってくれた気がする。
あなたの 親も 言葉にせずとも きっとそう思ってると思います。
被介護者の状態やお金が許す限り 思い切って誰かに頼って 任せてみる勇気 持って下さい。
それは間違いではないと思います。
いつまで続くかわかりませんし 続いてもらわないと困りますよね。
長く続けるためにも 息切れしないように そんなことも考えてみて下さい。

今日 書き始めに思ったことは 「短く〜短く〜」でしたが やっぱり 長くなってしまった・・・。
本間に学習能力のないアホな私ですが 良かったらポチッとしてって下さいな
それと もし もし(いないとは思いますが) 聞きたいことなどあれば コメントなどで聞いて下さいね。




 

テーマ:伝えたい事 - ジャンル:ブログ

【2007/09/23 22:43】 | 母に捧ぐ | トラックバック(0) | コメント(4)
太郎という猫





お友達donasamaさんからのバトンお願いです。

《ムコ多糖症》って病気を知ってますか?

この病気は人間の中でも小さい子達に見られる病気です。

しかし、この《ムコ多糖症》と言う病気はあまり世間で知られていません(日本では300人位発病) 
つまり社会的認知度が低い為に今厚生省やその他製薬会社が様々な理由を付けて、もっとも安全な投薬治療をする為の薬の許可をだしてくれません。

《ムコ多糖症》は日々病状が悪くなる病気で、発祥すると殆どの人が10〜15歳で亡くなります。

8月7日「SCHOOL OF LOCK」というラジオ番組で湘南乃風の若旦那が語ってから私達に出来ることを考えました。

それで思いついたのがこのバトンという方法です。

5〜6歳の子が厚生省にスーツ姿で出向いて自分達が生きる為に必死に頭をさげてたりしています。
この子達を救う為に私達ができる事は、この病気を多くの社会人に知ってもらって早く薬が許可されるよう努力する事だと思います。

みなさん協力お願いします。

[ムコ多糖症]
ムコ多糖を分解する酵素が先天的に欠損している為、体内に蓄積することで様々な異常が引き起こされる病気。
多くの場合、身体や精神の発達遅滞、骨の変形、水頭症なども伴う。重症の場合は成人前に死亡する。
今のところ有効な治療法が無いので、骨髄移植や遺伝子治療の臨床成果が待たれる病気の1つである。
http://www.muconet.jp/

★この本文を 日記に貼り付けてください。

※私達が何か力になれば・・・とバトンを手渡ししてます。お時間のある方は御願いします。
 家庭や職場でも話題に上げて頂けると更に広がって行くと思います。
 よろしくお願いいたします m(_ _)m

リンクをさせてもらっても良かったのですが ご迷惑だったらと思い 最近覚えた コピペさせていただきました。

もし 貴方様のブログのお邪魔になりませんでしたら バトンよろしくです。

難病って 沢山あって 今 国が 難病認定に向けて 研究中なのが200種以上あるそうです。
やること沢山あって大変かもしれませんが 一日でも早く救える命を救ってほしいですね。

余談ですが アルツハイマー 認知症のご家族がおられる方 ぜひ EPA DHAのサプリメントは試す価値ありだと思います。
母には数か月で顕著な効果がありました。当時 他に特にしていたことがなかったので これのお陰だったと思います。
訪問看護に来て下さってた 看護師さん達も 母の変化を見て ご自身も飲むようになられたんですよ。
ただ オイルですので カロリーは結構あるのかも・・。
カロリーコントロールされてる方 アレルギーのある方は注意してあげて下さいね。
お魚(特に青魚)を直接摂るのもいいそうです。
脳の病気をされてる方には「知ってるわ!」と言われそうですが 改めて 効果があった人間がいること ご報告させていただきます。
我が家では ネイチャーメイド(ドラッグストアなどにありました)を使っていました。


以前 我が家には きじトラの猫がいました。人懐こく 本当に可愛い猫でした。
この子は 幼い頃に捨てられ 我が家の周りに住み着いていました。
その頃まだ元気だった母が 毎日ご飯を外であげてました。
母は よく 山で捨てられたりしてる犬にもわざわざ車でご飯をあげに行くほど動物が好きで 「かわいそうー・・・」と言っては泣き ご飯をあげにいくのでした。行けないときは 私にも 「お願い〜」っと甘えるので 私もあげにいったものです。
その子猫がある日 明らかに元気がなく 食欲もなかったので 母と一緒に病院に行きました。
お腹に回虫がいるとのことで 虫下しの投薬をしていただきました。 帰った その日から 晴れて 子猫は 我が家の家族の一員になりました。
太郎君と名前も付きました。
それまで父が反対していたので 家の中には入れてなかったのですが「しゃーないな・・」と言いながら 許してもらえました。
そう言いながら 実は 父は動物が好きなので 文句を言いながらも とても可愛がるのです。
太郎は ほとんど家にいて 人の傍でゴロンと寝ます。
足にまとわりつき可愛い声で よく泣いていました。
猫好きなお客さんには ゴロゴロと喉を鳴らしてすり寄っていました。
猫嫌いの人には 近寄らず すたこらサッサとその場から離れていきました。
 
その後 母の病気(脳の)と認知症は進み 寝たきりになってしまいました。
ベットの傍らに時々猫を抱いて見せてあげたり 触らせてあげると 明らかに嬉しそうな反応がありました。(と私は思いました。)
太郎も ほとんど母の部屋で寝ていました。

そんな ある時 太郎は病気になって 臥せってしまいました。
感染症で 野良猫に移されたのでは・・と獣医さん。
当時 治療方法は確立されておらず 最先端の治療のできる医療機関に行けば延命は可能だったようですが 時間と高額な治療費を必要としました。当時の私は 母の介護で 24時間の付添が必要な状態だったので 選択肢はなく 最後は家で 少しでも幸せに暮らせる努力をすることにしました。
こちらも重篤な病状の猫になってしまいました。
幸い 母の介護で夜中も2度か3度起きていたので その時に太郎にも お水をあげたり 食べれる物を必至で探し(これは父が主に探してきてくれました) 少しでも食べるよう促しました。トイレもきれいにしておきました。
臥せった始めの頃は 一応 毎日 少しは食べてくれてましたが だんだん 2日に一度3日に一度と 頻度が少なくなり 必至で 食べてくれそうなものを 父に買ってきてもらいましたが あまり食欲はでませんでした。 やがて 全く食べてくれなくなり ミルクなど 液体の栄養を注射器で少しずつ口にいれてやりました。
それも ダラーっと口から流れるようになりました。
春は目の前でした。
ガリガリに痩せた太郎は 死ぬ3日前まで 寝間のすぐ横のトイレにも行きましたが 最後は 寝間にそそうしていました。ほとんど寝たきりになってから 半年ほど過ぎた 春が目前だったある日の朝 起きる私を待ってたかのように 握った手を最後ギュっと握り返し 大きな息をフーっと吐き 天国に旅立ちました。
「よー頑張ったな・・・えらかったな。ごめんな・・・ごめんな・・」
涙が止まりませんでした・・。母の分も泣いたのかも知れません。
母には このことは 話ませんでした。
普段 わからなくても 色んなことを話しかけましたが 悲しいことは 話ませんでした。
太郎はうちに来た年齢がはっきりしないので はっきりは分かりませんが たぶん8歳位でした。
十分なことをしてあげれなかったことに後悔が残りましたが 静かに逝ってくれたので 幾分気持ちは慰められました。
今頃天国で 「太郎 もう来てたん?!」と驚きの再会をしてることでしょう。
太郎は 思いっきり甘えてると思います。ゴロゴロ・・・
太郎には今でも 可哀そうなことをしたな・・・とよく思うことがあります。
付いていてあげる時間も 十分でなく 病院にも もっと行ければ 少しは違ったと思います。
ごめんね 太郎ちゃん・・・ そして さようなら。
天国で幸せになってることを心から願っています。

我が家には 今 可愛いアイドルワンコがいます。お転婆で悪戯好きで逃げ脚の早い いつもご機嫌で元気な娘です。
今日も リサイクルに出そうとイスに置いていた 牛乳パックをゲット!みごとに粉々・・。やられた〜・・・。
この子を迎える前 太郎のこともあり ペットを飼うことに散々悩みましたが やっぱり 動物がいる家が好きです。
最近 迷ったり 悩んだ時は「母ならどうするだろう・・?」と考えるようになりました。
そうすると おのずと答えが出てきます。
なんて 自分の都合のいいようにしてるだけかも知れませんが。
ということで 可愛いお転婆娘は我が家にお嫁入りしてもらいました。
でもを 欲しいと思ってからも かなり紆余曲折があり なかなか 「このこだわ!」という子に出会えず もう諦めようかと思った時期もありました。
でも 「この子!」に出会えたので 今の幸せがあります。
もしかしたら 母が 出会わせてくれたのでは・・・と感じています。
太郎の分も 長生きして欲しいです・・。
また 可愛い 秘密兵器も登場すると思いますので 見に来て下さいね。
ひょっとしたら 別にブログ立ち上げるかもです。
だって 介護とギャップがありすぎて 登場しにくいわ・・・って言ってましたから。

しんみりしたお話で申し訳なかったのですが 太郎がいたこと 頑張って生きてくれたこと 少しでも沢山の人に知って欲しくて書きました。
最後までお付き合い下さりありがとうございました。






テーマ:ねこ大好き - ジャンル:ペット

【2007/09/06 17:56】 | 母に捧ぐ | トラックバック(0) | コメント(9)
花火と母
残暑は厳しいが 夜になると 鈴虫らしき声も聞こえてくる。
カエル君も頑張ってる
夏が終わる・・。
安部内閣も終わる?
まぁ〜次から次に出てくる出てくる・・
完全に狙われてる・・。
いい加減 こんなニュースは見たくないので 早く襟を正して国政に勤しんでねマスコミさんも公平に行きましょう!
大臣ばっかが 悪いことしてるとは思えない・・。

私の家から いつ頃からだったか 近くのお祭りの花火が見れる。
今年もお盆のころだったか きれいな花火が上がった。
有名な花火大会に比べると 小規模で 間隔も 結構あり
もうおしまいかな・・・?と思った頃にまた上がる・・・これで終わりやわ・・・と思うとまたポツッと上がる・・てな具合だ。
それでも 窓から見れる花火なんて贅沢である。
母がまだ 寝たきりになる前 車いすで過ごしてた時期がある。
その夏の花火を見せたくて 痴呆の進んでた母を 花火の見れる部屋に連れていき 一緒に見ようとした。
ところが 母の視線は全く明後日を向き 花火を追えないでいた。
「きれいな花火やで・・お母さん こっちの空やで・・・ほら、こっちこっち!」
あっという間に終ってしまう花火を見せたくて 手のひらで母のほほを挟みそちらに向けるが 全く視線は花火を捉えることができなかった・・。
痴呆が進んでたので正確に「見えてる 見えてない」の返事ができず 目の詳しい検査もできなかった。視野もきっと 狭くなっていたのだろう・・。
それでも こちらに気を使ってか (みえてるもん)という強がりか「本間や、きれいやなー・・」と何度も言う母。
悲しくなった・・。
「全然 みてないやん・・」私は心の中で呟いた。
少しずつ少しずつ  母の痴呆は進み その頃は 目もどんな風になってたのかもわからない。
その後 寝たきりになってからも 窓辺にベットを移動させ 一緒に花火の音を聞いたり見たりした。母はもう 何も言えなくなっていたので 強がることも 気を使うこともなかった。
それでも いつものように「花火やで・・・きれいやな・・」話かけた。
ゆっくりとした 幸せな時間が流れてた。
今年も 花火を見ると 悲しくなった。
それでも きれいではかない花火は大好きだ。
母が見れなかった花火でも 一緒に居た思い出の一つになった。
その部屋の窓辺で母と過ごした夏が ずっと前のことなのに  ついこの間のように感じる。まだ 元気な頃に一緒に見た花火より 強烈に印象に残ってるのは その時感じた悲しさのせいだろうな・・。
でも 母はもっと切なく 悔しかったことだろう・・。
こんな大きいものも見れなくなった自分をどう感じたのだろう。
もし 痴呆でそんな気持ちも持ってなかったのなら 少しは救われる。

母との思い出は 一杯一杯ある。
良かったら また見にきて下さいね。
あまり 役立つ情報ではないですが。 

 

【2007/09/06 00:54】 | 母に捧ぐ | トラックバック(0) | コメント(0)
いらっしゃ〜い(^。^)y-.。o○

お昼 新婚さん いらっしゃ〜いを久し振りに見てしまった。
相変わらず 三枝さんの信じられない失礼の数々の言動にも 全く嫌な顔もせず ニコニコ顔の新婚さん・・打ち合わせで 織り込み済なんでしょうね(こっちが気使うわ
でも あのツッコミがないと ただの おのろけ番組として 今頃 アタックチャ〜ンス!が一時間番組になってたかも・・。(「はい、そのと〜り!」

ひと組目は 北海道の 医師と看護師さんカップル。
以前から お互い気に入ってたようで 飲み会の後 仲良くなって 即プロポーズですって・・・。はやっ!
少しぽっちゃりの奥さんを見て旦那さまは「ドラエモンみたいでかわいい」と思ったそうです・・。
ふむふむ・・さっすると私を見て「鶏がらみたいでかわいい!」なんて思ってくれる人はいるのかしらん?おらん!
何を隠そう 生前 母が大好きな番組だったのです!
いつか 娘を出そうなんて 考えてたのかも・・・
特に最後のペアマッチが好きで よく「あ〜そこ違うぅ〜!」「私 今日あったら 全部取れたわ〜」とかよく言ってました。
母は とても お茶目さんで ぶりっこで 可愛い人でした。
思春期は そうゆう所が少し嫌でした。私は素直にそうゆう風にできなかったから 少し焼きもち焼いてたのかもしれません。。
だから 友人も多く 亡くなったときも すごく沢山の方が参列して下さいました。
ざっと亡くなる10年前位からは どなたとも お付き合いできてなかったのに・・・。(痴呆が始まったので・・)嬉しかったです。ありがとうございました。<(_ _)>
母を本当に誇らしく思いました。
もちろん ダメなところも一杯ありましたよ。でも いいところは もっともっとありました!「うまいこと いうて・・・」母の声
式は 恐ろしいほどの快晴で 涙の全く似合わない青空でした。
きっと笑顔で見送って欲しかったのでしょう。
気を張って なるべく我慢しましたが 出棺の時は堪え切れず 声を出して泣いてしまいました。
思えば 亡くなった 瞬間から 出棺までの間は 息こそはしてませんが ずっと傍にはいられたのです。
出棺で蓋を閉じると もう 自分の手に触れることさえできません。
本当の別れだと感じました。
肉体だけだということは わかってるのですが それでも傍にいて欲しかったのです。
その日の空は今でも忘れません。
焼き場に向かう車の中から ずっと「この空 覚えておこう」って思って見ていました。

でも いつまでも センチメンタルな気持ちではいられず することは沢山あるのです。
色んな人が言ってましたが 悲しみを紛らわせるために色々することが用意されてるんですって。なるほど・・・。

折を見て母のこと時間をさかのぼる感じで書いていきたいと思っています。
母の体調を記した日記が十冊以上あるので・・・。
内容の性質上どうしても 湿っぽくなりがちかもしれませんが 基本 楽しいこと おもろいこと 吉本大好き人間ですので なるべく からっと行きますね!(海苔巻から揚げやで。)
良かったら 見てって下さいね。
特に 今 介護で大変な人への応援歌になれば嬉しいです。
でも 介護真っ最中の人は 案外PC見れてないかもね・・・。
私もそうでしたから・・。
その時には とてもブログなんて書く暇もなかったし 気力が残ってなかったです。
今 書こうと思ったのは アホな私は その時の感情をすぐ忘れてしまうからです。 
まだ 残ってる間に書き留めないと・・・。
いい加減なもので 介護から 離れると介護の番組も見なくなってしまいました・・。当時は ビデオにとってまで見てたのに・・。早く 書き残そうっと

本日も最後まで 読んで下さった方 本当にありがとさんです。
長々とごめんなさい!
国語がとっても苦手だったので 文章を整理して簡潔に書くということができません。
懲りずに ご来店おまちしておりまん〜にゃわ(関西人しかわからへんね?
コメントも24時間 受付中!
ささいなことでも結構ですよ。


 
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うちでできた イチゴなのだ!
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【2007/09/02 17:58】 | 母に捧ぐ | トラックバック(0) | コメント(4)
そこに私はいません(T_T)
安部さんの支持率が15%以上も上がってるそうです。
私のブログの応援のせいかしら
うなわけないですね・・・。枡添さん効果とか・・・。
でも あっと言う間にマスコミも反転報道・・・
良かったね安部さん
が、油断召されぬな!背水の陣には変わりないですからね。
日本人って私も含めて その時の風潮と違うこと思ってても 何だか 口にしにくくって ついつい 流されてしまいますよね。
まぁ〜ブログでは 私もドン底の安部さんの応援してても 口では「安部さん 何か 頼りないな〜」とか言ってしまいますもん。ごめんちゃい
世間の風潮に負けない強い意志がほし〜
とにかく頑張って 安部さん!なんやこれ?

枡添さんは ご自分の お母さんを 長く 遠距離で介護され 書物も書かれてます。「母にムツキ(おむつの意味)をあてるとき」だったかな・・・。読みかけましたが あまりに自分との状況とオーバーラップして 辛くなって すぐ読めなくなりました。
今なら 読めるかもな・・・。多分 何冊か書かれてる筈です。

介護の真っ最中は すごく 色んなことに気持ちが敏感に反応してました・・・今振り返ると。
人の言う 大したことない言葉に 傷ついたり 怒ったり、嬉しかったり。
私は 本来 怒ったりということがほとんどない人です。
人との いさかいも好まず 自分でいうのも なんですが 平和主義者だと思います。
そんな私でも よく怒り よく悲しみました。
「かくかく しかじかがあったの!どう思う!?」と同調を求めても 回りは「そうかな〜?」っといった薄反応・・・。これにまた 悲しみ 怒りが増幅されるのです。せめて 「ひどい!わかるわ〜」って言ってもらえれば 少しは気も納まるのに・・。勝手な理屈ですね。
今となれば どんなことに 悲しんで 怒っていたのか 思い出せないです。
でも あの頃の自分も愛おしいですよ。
多感な少女のころのようなガラスのハートの持ち主だったかも・・。きれいに言い過ぎ?
今 介護でこんな感覚の人いらっしゃると思います。
気持ち 本当にわかりますよ!
でも この世は無常です。いつまでも今の状況は続きません。
来るべき時のために幸せ貯金してると思って 一生懸命 頑張って下さい。
誰か 必ず あなたをちゃんと見てくれてますよ。もしかしたら それは 神様かも知れないので あなたに ねぎらいの言葉も何もくれないかも知れません。それでも いいじゃないですか。頑張ったこと 自分は知ってます。自分は自分を裏切れませんから・・。
でも私からは 言わせて下さい。「いつも 御苦労さまです。体に気を付けて頑張ってください!」あっ、 宗教関係では 全くないですよ。壺とか売りませんから。
一応 我が家は 仏教徒ですが 全然信心深くもないです・・・。
お墓も 「千の風になって」で そこに〜わたしは〜いません〜って歌ってはるので あんまり行ってないですし・・・。これは マズいか・・・。ただ お経は少し読めるようになりました。下手っぴなので ご先祖様も母も 吉本新喜劇ばりに コケまくってる思います。ひぇー、こりゃひで〜
でも 不思議なことに ワンコちゃんは すごく 静かに聞いてるんです。わかるのかな〜?終わった瞬間 チ〜ンって鳴らす棒銜えて逃亡してますけど・・。

また 長々と書いてしまった・・・。よく 人のブログもお邪魔するのが好きなんですが 字が多いのは苦手・・・なのに私のブログったら・・
次回は 短〜いので また よってってくらはいね〜
ホンマかな・・・
良かったら コメントも待ってますよ〜。

20070831163725.jpg
ワンコちゃんのおもちゃ拝借!本文とは 全く無関係ですけど、なごむでしょ。

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【2007/08/31 16:53】 | 母に捧ぐ | トラックバック(0) | コメント(0)
シェーしてるざんす(;一_一)
今宵は ちょいと 涼しいでありんす・・・

テンプレ変えてみました。かなり渋いでありんす。

内容とは 合ってないので また変更すると思いますが 結構 変えて楽しんでるんす。何か 違うブログ始める気分でありんす。(キセルがなかったので・・)

ありんすって 遊郭の花魁の話言葉だったかな。なかなか 風流な4文字流行り言葉だったのか?今でいう 「そうだりんこ」みたいなもんか?ゆうこりんも 案外時代考証でクローズアップされるかもりんこ。あそこまで頑張ったらエライ

本日 親戚の母子が 来てくれました。
男の子A君は10歳 自閉症である。
彼は ワンコが苦手・・・えらいお互いパニクッてました。
でも 時間が経つにつれ 何となく 同じ部屋で警戒しながら居れるようにはなりましたけど。
自閉症という障害は 最近 割に取り上げるテレビも増え 以前よりは理解されつつありますが まだまだ 引きこもりがちな子を 自閉と呼ぶことが多くあります。
テレビなどで 明らかに使い方を間違ってる出演者の発言に 訂正が入らないことも ままあります。
自閉症は 生まれつきの脳の障害で 症状は それこそ 千差万別であり 一言では到底説明できません。A君の場合は 言葉は最低限の意思を伝えることはできます。ただ 一人の世界があり 他人とのコミュニケーションはとても下手です。聴覚も非常に敏感で大きい音が苦手です。時々 思いや辛さを伝えることができない歯がゆさからパニックを起こし 泣き叫んで 少しあばれます。
でも 本当に可愛い無垢な瞳をしています。お顔も可愛いです。
多分 邪な気持ちやずるい気持なんて 爪の先ほども持っていないし、これからも・・・。
でも 今の日本の福祉は将来に不安が一杯だそうです。
だから 両親は せめて 金銭的にでもと 貯金に勤しんでいるようです。
初めから国に全てを頼ろうとするのは 違うと思います。
ただ本当にどう頑張っても 一人で立てない人を人らしい尊厳を持って生きられる世の中てあって欲しいと願います。
身近に 障害の人がいると見えてくることは沢山あります。
実は 母も生前 1級障害者でした。
駐車場にある 車いす専用スペースにはどれだけ助かったことでしょう。でも心ない人が 当たり前のように目の前で 車イス専用スペースに駐車し スタスタ歩いていくことが何度あったでしょう。
もしかしたら 見えない障害の人(ペースメーカー装着や妊婦さん・・傷害ではないけど。)の可能性もあり 何も声はかけなかったですが・・・。
かと思えば エレベーターの開のボタンを長く押し 笑顔でいざなって下さる心ある人も沢山いました。そうゆう方に出会うと 泣きたくなる程ありがたく 嬉しいのです。観音様に見える位・・・。車イスを押すのは 普通の舗装されたところでも 力のない 私には 結構大変です。 その上 介護関連の荷物も多く 認知症の母に危険がないよう(降りようするので)気を遣いながら動くのは 骨の折れることでした。
もし 皆さんが こんな場面に遭うことがあれば 笑顔や 声かけ できれば 手を差し伸べてあげて下さい。その時 怪訝そうな顔をされたとしたら それは 疲れきって笑う余裕も失っておられるのだと思って下さい。 恥ずかしいなんて思わないでください。それと身近に介護されてる方がおられたら ひとこと「御苦労さま」と声をかけてあげて下さい。このひとことが どんな薬より 元気をもらえます。
障害児をかかえておられる ご家族にも 同じことが言えると思います。言葉の持つ力はスゴイです。少しの思いやりで 人を幸せな気分にできるなんて・・・あなたにはその力がありますからね。
あぁ〜また こうゆう話題になると ブログということを忘れて ついつい長くなってしまって・・・すいません。
最後まで お付き合い下さったあなたに感謝です。
毎日バラバラな話題ですが 良かったら また見るざんす・・・ん?シェーに変わってますや〜ん(さすがにシェーはないわ・・・)

せやからゆうて こんなんやらされてまんねん・・・。

20070829233011.jpg

えぇ・・「しぇー」っていうたらええのんか・・・
年ばれんで・・・

テーマ:認知症の介護 - ジャンル:福祉・ボランティア

【2007/08/29 23:00】 | 母に捧ぐ | トラックバック(0) | コメント(0)
やっぱり 本音は書けませぬ・・


本音を書くって 以外と難しい・・いいとこ70%(;一_一)日頃感じること、母との日々、 結婚は?、ときどきワンコ・・つい読んでしまったあなたには感謝!

プロフィール

三毛いぬ

Author:三毛いぬ
こここんちは!緊張・・。
私は 西日本在住(ひろぉ) 適齢期もはるか昔に通り過ぎましたが なぜかこんな風にお気楽な子に育ってしまいました・・。
育て方を間違えた・・・って遅すぎます(−−〆)
こんな 私ですが よろしくお付き合い下さいませ。<(_ _)>



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